辻音楽師な日々

現代の竪琴「ライア」を弾いています。              BBS http://rara.jp/leier

記憶


義父は、黒い雨を全身に浴びている。

義母は被爆直後の広島市内で勤労奉仕をしている。小学校6年生だったそうだ。
学校に行くと、次々に黒いか赤いか生きてるか死んでるかわからない
おびただしい人々がトラックに積み上げられて運び込まれてくる。
それを学校のグランドに積み上げられ焼くのを見たそうだ。
一度だけ、義母がぼそっと「火の中でね、人が起きあがるんでびっくりしたんだよ・・・」と言ったのを聞いたことがある。

彼らは、平和公園に足を踏み入れない。いや、近寄ろうとすらしない。
地域の呼びかけなどで千羽鶴を折ろうとか言うことがあると、
必ず丁寧に一つ一つ折る。しかし、その鶴を持ってサダコの像までは行かない、いや行けない。


アフガン空爆の時に、年老いた義父はTVの画面を見てぼそり、と言った。


「・・・山んなかで、何も壊す物もなかろうに、なしてあんなに虐めにゃならんかのう」


大義名分より、正義の理論より、訳もわからずいきなりアタマに降り注ぐ弾丸の下に「たまたま」居た人間への共感。それは、怒りでも憤りでもなく、ただ、癒えることのない深い悲しみ。