ヤン・ブラウンシュタイン 広島公演
このたび、チェコからプラハ音楽院講師、ライアー奏者のヤン・ブラウンシュタイン氏を初めて日本にお迎えし、東京・京都・愛知、そして広島でコンサートを行います。広島では、10月25日、26日の2日間。
Jan Braunstein
~癒しの竪琴コンサート in 広島~
と き:2013年10月25日(金) 開場18:00/開演18:30
ところ:西区民文化センター スタジオ
入場料:前売り2500円 当日3000円
ボヘミア マケドニア イングランド アイルランドなどの民謡
平和祈念コンサート
~原爆犠牲者への追悼~
と き:2013年10月26日(土) 開場13:30 開演14:00
ところ:紙屋町ヒューモホール 3000円、全席自由
チケット・お問い合わせは辻音楽師まで
leier46@yahoo.co.jp
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ブラウンシュタイン氏はドイツ・チェコで音楽療法士、シュタイナー学校やげ教師を経て昨年、プラハ音楽院(古くはドヴォザークが学長勤めたり、クーベリック,ノイマンも学んだあの伝統ある音楽院です)にライアー学科を創設、学科長に就任されたというなかなかエネルギッシュな方です。
現代のライアーは歴史も浅く、日本では(いや、たぶんヨーロッパでも)シュタイナー教育、音楽療法、ジブリの「千と千尋の神隠し」でごく一部に知られているひっそりとした楽器のイメージだったのですが、チェコではすごいことになってるんですねぇ・・。
25日公演では私たち宇月彩&辻音楽師ライアーデュオとの共演も企画中です。
お近くの方、いや遠くの方も是非。
お彼岸コンサートより
「彼岸」
もう この世で 会うことは叶わない
私たちを 心から愛してくれた人が 住むところ。
いつか 私もあなたのように なれるでしょうか。
あなたのような 大きなこころで
誰かを 包み込むことが できるでしょうか。
懐かしい気持ちと感謝を込めて あなたに響きを届けます。
2012年の9月11日、広島市内のお寺で宇月彩さんと演奏させていただきました。
沈黙の賢者
お箏のお稽古をはじめました。
洋楽器は幼い頃から馴染んできたのだけれど、和楽器をきちんと習うのは初めてです。
今日は、最初ということで、座り方、構え方から始まって
基礎の基礎、糸の位置を覚えるための練習からです。
弦を弾く為の指は右手の親指、人差し指、中指の3本。薬指は必ず弾かない弦に載せ
支えにすると同時に手の位置を決める重要な役割を果たします。
薬指を置かなくても、爪で弦をひっかければ音は出ますが、それでは芯のある響きは
得られないし、弾くうちに迷子になってしまいます。
ほ~お。
すごいぜ、薬指。
ピアノだと、薬指って力が入りにくいのでとにかく鍛えて鍛え抜き
他の指と揃うようにしなくちゃいけない、背伸びしなきゃいけないんだけど、
お箏では、そこをたよりに皆が集まってくる。
しかも、無駄なことは一切しゃべらない。
薬指さま、と呼ばせていただきましょう。
寝床
お稽古が終わって、自分のお爪を買うために先生に箏屋さんに連れて行っていただき
ました。
箏の爪は象牙とそれを指に固定する動物の皮で作られています。
必要なのは親指、人差し指、中指の3種類でそれぞれちょうど良い大きさになるよう、指を合わせて作っていただくのです。人差し指と中指は特に問題は無いのですが、親指にはぼっこりと大きなオーボエダコ。箏屋さんがおっしゃるには、やはり時々ペンだこが大きな方もいらっしゃるそうです。
タコが大きくせり出しているところまで少し深めに差し込み、そのタコが爪の支えになるよう、少し深めに作っていただきました。
そして、お爪を入れるケース。指輪用の宝石箱を少し横長にしたような感じで
外側は織物で包まれています。朱、臙脂など赤系統の色が多かったのですが、
青みがかったシルバーの地に「金」のラインで幾何学模様が描かれたケースを
見つけ、吹奏楽育ちとしては、思わず反応。
箏屋さん曰く
「この色のケースを持たれている方は少ないですね」
即決!
金色の光のすじの中に、白く柔らかな色合いのお爪が静かに横たわります。
象牙も、皮も、動物のからだの一部、尊いその命をいただいています。
金の輝きに包まれた特別な場所でビロードの敷布の上で、ゆったりと休んで下さい。
そして、時々目覚めて私と一緒に美しい響きを奏でて下さい。
爪さん、どうぞよろしくお願いします。
雨でした
全国的に暴風が通過するとの予報でしたが
この地方では穏やかな雨がしっとりと草や木や地面を濡らし、
恵みの雨。
明日はどうなるんだろう。
明日、考えよう。
今日は良い天気。
ぽかぽかと暖かい日差しに誘われて鳥や虫も活発に動き回っています。
桜の花も満開です。
振り返ってみる
この日記を書き始めたのは2001年の9月。
最初の記事のタイトルは「同時多発テロ」でした。
当時、私はシュタイナー幼児教育のメーリングリストに参加していて、子育ての悩みやら、こどもを取り巻く環境やら、お稽古事はどうよ、とかまぁ後は世間話やら音楽蘊蓄やら色々活発に意見交換していたものでした。
テロの直後のメーリングではこどもがニュース映像を見てしまって不安定になってしまったり、親自身が不安にとらわれてしまったとか、ちょっとしたパニックになりつつありました。
一番良く使われた言葉は、おそらく「祈り」だったのだと思います。それから「何かしなくちゃ」、「なにもできない」という思い。当時のメンバーの1人から、折り鶴を折ろう、と声をあげ、たくさんの方が参加し、グラウンドゼロに想いを届けました。
その時に書いた文章を少し手直ししたのが、この日記の最初の記事です。
12年前の文章ですが、読み返して行くと改めて色々考えさせられます。
興味を持たれた方がいらっしゃいましたらアーカイブからどうぞ。