辻音楽師な日々

現代の竪琴「ライア」を弾いています。              BBS http://rara.jp/leier

ライア

実は父がこの世で最後に触った楽器、というのはライアなんですよ。

それまでにも私がいろんなライアをいじってるところを父は見ているのですが、
「そんなおもちゃで遊んどらんと、ちったぁまじめに仕事せんかい」
とか言ってあまり良いかををしてなかったんですね。
病気を持っていたとはいえ父も、まだまだ元気でしたし。

7弦キンダーハープ12弦キンダーライアーは言わずもがな、30弦35弦ソプラノのあたりまでも「もの珍しいだけの楽器」というのが父の評価でございました。まぁ、私が下手くそに弾いていたせいかもしれません。

ところが、今年の5月ぐらいにコロイの39弦ライアーをいじっていると父がひょっこりと覗いてきて調弦のコツを二言三言ゆってくれたのでした。ふ〜ん、珍しいこともあるなぁとその時は思っただけでしたが。


それから少しして、7月10日にコロイの42弦アルト君がやってきました。で夏休みになって実家に行ったときに、アルト君も連れて行って父に見せびらかしたのですよ。


そしたら父は、初めて自分の手を伸ばしてライアーの弦を触りました。それが、もう、とても地上の物とも思えない、なんとも澄んだ響きでした。今から思えば、既に父は半分霊界に入りかけていたのかも知れません。


その3日後、父は救急車で大学病院に運ばれ集中治療室に入り3ヶ月近い闘病の後、眠るように息を引き取りました。ベッドの上でずっと眠っている状態でしたし、面会時間も限られていましたので、最初は、家族としては面会に行っても本当に何をして良いのか分からない感じでした。


物質的には最先端の科学的医療機関に入って居るわけですから、これ以上になにかできるとしたら、まぁ、宗教か芸術しかないよな、と冗談のように言っていましたが、主治医の話によれば眠っていても耳は聞こえている、とのこと。それで、私の全員音楽家なのでにぎやかに歌ったり話しかけたりしておりました。


父はもちろん、常に音楽のなかで生活をしてきた人ですが、いきなり病院のベッド、という機械の音と沈黙しかほとんど無い空間で眠る事になったのです。音楽家にとって自ら音を奏でられないだけでなく、音楽が聞けないほどつらいこともないと思います。だから、私は何か演奏したいと思いました。でも、病室にピアノは持ち運べませんし、キーボードは音がうるさすぎます。ヴァイオリンやオーボエでも無理でしょう。大体、そんなもの集中治療室に持ち込めるとはとうてい思えません。


ところが、私の手元には、届いたばかりのコロイのアルトライアーがあったのです。そして、それが、父が元気な時に最後に弾いた楽器、あるいは初めて興味を持ち始めた「新しい」楽器だったのです。


もしかしたら、人は元気な時には元気な響きが欲しくなるのかも知れません。魂が静かになってくると、静かな響きが心地よいのかも知れません。
そんなことを考えながら私は毎日、ライアーを持って父の枕元で弾き続けました。


それにしても、勇気が要りましたよ。何がって、ICU、集中治療室でございます。


そのエリアに立ちはだかる分厚い二重扉の奥へ入って面会できるのは、親族のみ、しかも一度に2人まで、手洗いはしっかり、もちろん殺菌剤たっぷり。不必要な荷物は備え付けのコインロッカーに入れ、ほとんどの家族は手ぶらで入ってゆかれます。


そんなところに、誰がどう見てもテカテカに目立つ8kgもある巨大なライアーを持ち込もうなんて思いついたんです。一番最初はかなり悩みましたよ。いえ、もっとちっちゃいライアもありますよ、キンダーハープ。ベッドの上で本人が弾くにも無理のない大きさですし、なんとなればカバンにだって入ります。でも、父は全く見向きもしなかった楽器ですし、なにしろ西洋音楽コテコテで、和楽器や古楽器にも興味を持たない人ですし、・・・やっぱり和音が鳴らせないと納得せんだろうな、父ちゃんは・・・・

楽器を持ち込むことについて、許可を取った方が良いんだろうな、とは思ったんですが、もし「ダメです」と言われたら最後、ベッドの上で動けない父に、生楽器の音を聞かせることはできないんだよなぁ・・・

そして私は決心しました。コンサートホールに楽屋入りする時の様に、さりげなくICUのドアをくぐり、プロフェッショナルな顔(ってどんなんや)をして、堂々と廊下のど真ん中を、にっこり笑みを浮かべながら、ステージの中央に向かうがごとく、父の病室へ入ってゆきましたとも。

・・・つづく