辻音楽師な日々

現代の竪琴「ライア」を弾いています。              BBS http://rara.jp/leier

静かな音

ところで、ライアの音ってとても小さくて静かなんだけれど、
だからこそ、心にしみてくる不思議な音色ですよね。


「祈り」というのも、なんだか、似ているような気がします
叫んだり、怒鳴ったりすると、確かに「聞こえて」は来ます、
でも、聞きたくなくて耳を塞いでしまいたくなることも事実です
淡々とした「祈り」の声は小さくて、喧噪にかき消されてしまうかも知れない、
でも、祈り続けていれば、何かのふっとあたりが静かになった一瞬、
響いてくる物なのかも知れない、なんだか、そんな気がしました。


祈りの声が誰にも届かなくても、それでも祈り続けるのか、と
聞かれたことがあります。それは、考えたことがなかったので
改めて考えてみましたけれど、私は、やっぱり祈り続けると思うんです。
どうしてかというと、祈る言葉は私自身に届くのです。
祈りの言葉に満たされることによって、自分自身の「不安」が和らいでいきます。


死んだばぁちゃんの葬式の時に、お坊さんがゆっとりました
「お念仏は、死者のためではなく、残された物のために唱えるのです
亡くなった人は、これから御浄土にゆかれるのですから、何も憂いはありません、
人が亡くなるのはさびしいことです、でも、消えて何もかもなくなったわけでは有
りません、お念仏を唱えれば、いつでも、会えるのですよ」


ところで、「音」は地上界と霊界を橋渡しする働きをし、
亡くなってしばらくは、この世の音が聞こえていると
聞いたことがあります。
楽器を弾いたり歌ったりすることも、
どこか「祈り」に通じるのかも知れません。